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2018-08-12

遠友夜学校跡、森田たま生誕地

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札幌に帰省して2日目、昨日は走友会の30km走で少し疲れが残っているが、札幌市内の歴史探訪ランニングに出かける。今日はバスセンター裏やすすきののハズレの史跡を探訪。約12km。

遠友夜学校跡(中央区南4条東4丁目)
 すすきのの国道36号線の豊平川の渡る手前のビル街の中の公園にそこがあった。「願わくは、われ太平洋の橋とならん。 I wish to be bridge across the Pacific」の石文で出迎えられた。敷地内には遠友夜学校の創設者の新渡戸稲造とメリー夫妻の遺徳をしのび、夫妻のレリーフを懸がて立つ青年のブロンズ象(昭和54年築)が建っていた。
 昭和39年、この地に札幌中央勤労青少年ホームが設立され、その中に遠友夜学校記念室が設けられたが、閉館に伴い、その内容は札幌市中央資料館に展示されているという。
 遠友夜学校は、札幌農学校の教授であった新渡戸稲造が、貧しい家庭の子弟のために、明治27年に創設。メリー婦人が受け取った遺産を投じて有志とともに1720㎡を買い取って夜学校とし、自ら校長となった。「遠友」は、論語の「友あり、遠方より来たり、また楽しからずや」という一節からとったもの。
 授業は、札幌農学校の教官や学生が教師となり無料で教えた。科目は一般教養のほか、裁縫、作法などを加え、常識に富んだ品格のある人間作りを目指した。最初は寺子屋のようだったが、街の人の寄付で明治30年80㎡ほどの校舎が建設され、尋常科と普通科の2科が置かれた。
 しかし、同年稲造は病気療養のため札幌を去ることになり、夜学校は親友の宮部金吾、大島金太郎、有島武郎、半沢洵らに受け継がれた。大正5年には私立学校の認可を得るまでに発展したが、昭和19年戦時政府の命により閉校した。
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晴れた日には農作業、雨の日には読書が理想です。
でも、実際には、雨の日は体育館でトレーニング、晴れの日には町並みをランニングするのが多いです。

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