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2018-08-07

黒澤酉蔵の言葉と遠浅酪農の誓

 回覧されていたホクレン指定団体情報に北海道酪農150年の歴史が掲載されていてとても参考になった。その中でも特に昭和41年に北海道に冷害のために視察した佐藤総理大臣らに話した当時81歳の黒澤酉蔵の言葉に感動。その言葉のベースとなった遠浅酪農の「誓」も掲載されている。それを読むと黒澤氏の考えは、有名な循環農法だけがベースではなく、勤勉な労働や事業の社会貢献、分度、余剰分の貯金など二宮尊徳の報徳思想が基になっていることがよくわかった。「誓」は句読点がなく読みづらいが以下転載する。

ホクレン指定団体情報 Vol236 平成18年7月31日発行
北海道酪農150年の歩み 抜粋
酪農・乳業ともに発展へ、昭和41年度不足払い法施行

 不足払い法が施工された昭和41年、北海道は大冷害に見舞われた。時の総理大臣・佐藤栄作や農林大臣・松野瀬三らは
11月に札幌で一日内閣を開いたがこれに合わせて冷害被災地を視察する予定を組んだ。
 これを聞きつけた黒澤酉蔵(当時は北海道開発審議会会長)は、「冷害で泣いている農民を視察してもダメだ。冷害を克服した農業を見なければ冷害対策はできん。」と言って二人を胆振管内早来町(今の安平町)の遠浅に案内した。
 遠浅酪農は昭和5年、滝川町(今の滝川市)や新十津川村(今の新十津川町)の酪農民らが、大規模な開田(水田開発)事業で転地を余儀なくされ、約30戸が集団移住したのに始まる。一帯は樽前山系の火山灰地で、不毛の地であった。
 移住からの5年目、土地代金の償還が始まると明日の暮らしに困るほど追い詰められた。この時、農民は鎮守に集まり、黒澤を立会人に「誓」を立てた。 
 「・・・互いに助け合い一致協力して・・・3年の間は衣服類は一切買わず、食物は自給を主としてなるべく買わず・・・畜を愛して家族と心得、糞尿は土地の貴重な食物なれば、いささかも粗末にせず、一家の食料、家畜の飼料を豊富に収穫することに専念し、差し当たり平均2倍の増収に努める・・・。」
 この「誓」は、今での安平町早来庁舎の金庫に大切に保管されている。遠浅の酪農民はその後、不屈の農民魂で不毛の大地を全国の模範となる酪農郷にに築き上げた。黒澤は佐藤らに、遠浅における酪農の神髄を見せたかった。 
 黒澤は6尺棒で自ら提唱する循環農法図を指し示した。
 「農業は天地人の合作である。これで経営を循環させれば能率の悪い農業、貧乏な農業を一掃できる。まず天だが・・・」。
 この時、黒澤81歳。老境にあった黒澤の説明に佐藤はじっと聞き入り、視察後の記者会見で、「農業は適地適作でいかなかきゃいかん」と述べた。松野も、「黒澤先生の考えは農政の大原則だ」と語った。



我等は天地の恩皇恩祖先父母の恩社會の恩を片時も忘れず常に感謝して其の恩徳に報ゆる事を念願して家内の円満融合は言ふまでも無く部落全部が一大家族と心得互いに助け合い一致協力して今日より三カ年間は更正の第一期と定め戦地に血戦し居れる将兵と同じく血死の覚悟にて相結束して寒暖風雨霜雪を厭わず終日終夜只一筋に勤苦致し三年の間は衣服類は一切買はず食物は自給を主として可成買はず必ず各自の分限に従って分度生活を厳に相守り家畜を愛して吾が家族と心得糞尿は土地の貴重な食物となれば聊かも粗末にせず土地を肥やし一家の食料家畜の飼料を豊富に収穫にする事に専念に差當り平均二倍の増収に努め租税年賦金等は真っ先に自ら感謝して上納し毎月必ず生計費の四分の一を天引貯金をし子孫の為め世の為めにこれを実行する事を神の御前に誓う

昭和十二年三月十七日

富松鉄之助
・・・
山田威

黒澤酉蔵
鈴木重光
・・・
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Author:とるしも
晴れた日には農作業、雨の日には読書が理想です。
でも、実際には、雨の日は体育館でトレーニング、晴れの日には町並みをランニングするのが多いです。

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